バタピーが美味過ぎてヤメられない件

この記事はタイトルの通り、バタピーが美味過ぎたので作成することにした記事である。それ以上でもそれ以下でもない。ただ、バタピー好きな人と気持ちを共有したいだけだ。

なぜあんなに美味いのか

バタピーだけで食べてヨシ。ポテチや何か気に入ったおつまみと混ぜてヨシ。単品でも美味すぎるし、他のお菓子との相性も良すぎる。魔法か。ピーナッツとバターの魔法なのか。

強い気持ちを文字にしてみた結果、もう出し尽くしてしまった。感情の大きさや強さと文字数は必ずしも一致するものではない。書くよりもバタピー食いたいのだ。

とは言え、これで終わってしまったら、この記事は悲しすぎる。一瞬で読まれた挙句、二度と読まれない記事、そういう悲劇を作ることになってしまう。

価値ある情報

読みにきてくれたあなたに、何とかして価値ある情報をお届けできないか考える。価値のある情報って一体何だろう。あなたは本当にそんなものを求めて読んでくれているんだろうか。

ただ何となく自分の暮らしや考えをお伝えする。何となくそれを読んで頂けている。そういう一期一会がそこにあるだけで、価値を求めてここに来てくれる方は稀なのではなかろうか。

意味や価値を求めて彷徨う方々は、きっともっとそれっぽいサイトに導かれていくだろう。このサイトに訪れてくれる神々は、一体どんな性質なんだろうか。

何となく人間界の暮らしを覗いて下さっている神が多いのではなかろうか。メリハリは無くとも、面白味は薄くとも、ただ何となく生きる1人の人間の暮らしをノンビリと眺めに来てくださっている、そういう神々なのではなかろうか。

仮説

きっとそうだろう、という仮説に基いて考えると、記事の内容へのプレッシャーは減り、正直に思う事を書こうと思えてくる。飾ることはない。真実があればそれでいい。

ここまで考えて、自分の記事にはオチが無い事を痛感する。

やはり記事である以上、面白味は必要な気がしてきた。山も谷もない文章では、つまらないのではないか。

無理に面白くしようとするのは寒い結果に繋がりそうだが、面白くしようという意識や工夫は必要なのではないか。

そう考えたあたりで、読んでくれる神々へのサービス精神を持たねばならぬ、そんな気持ちが湧いてきた。

まずはつまらない記事の脱出から考えよう。面白くしようとして面白くなる気がしないので、自分なりに考えてアプローチしてみる。今後の改善に少しだけ期待して欲しい。

つまらない記事を読んでくれてありがとう!あなたはきっと良い神だ!

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