狂信者を量産する社会

雑記

 クソみたいな人生。それでも自分を信じて生きる強さを持ちたい。正直に気持ちを吐き出すならそういう言葉になるのだろう。こともあろうにテレビや人や明るい未来や正義が最後に勝つとかそういう幻想を受け入れて、うっすらとでも信じて生きてきてしまった。それは悲劇を生む病だ。幻想病とでも名付けようか。状況から判断することをせずに、垂れ流される情報や希望や勧善懲悪をあおる作品に流され続けてしまうと人生の多くを無駄にすることになる。

狂信者

 誰かの垂れ流した無責任な思想に狂う人生。迷わずに信じる。言われたまま信じる。疑わずに突き進む。そういうことを美徳として生きれば当然のように食い物にされるだろう。世の中は基本的にクソだ。そういう真実から逃げることはできない。逃げ続ければ先に心が壊れるだろう。

酷い世界

 この世界が酷い汚物にまみれているという事を事実として受け入れること。まずはそこからだと思う。オレはもう幻想病にはかからない。酷い社会だけど何とか生きてはいける。そういう気構えができて少し楽になった。社会にも世の中にも求めない。とにかく何とかして生きていく。そういう生き方が自分には合っているのだと気が付いた。

前例などいらない

 自分の人生に前例などいらない。誰かから見たら悲劇に向かって一直線に突っ走っているように見えたとしても何も問題ない。オレの人生はオレだけが分かっていればそれでいい。自己肯定感?どうでもいい。ただ、自分を救えるのはいつだって自分だけだ。自分の状態が何と呼ばれようがどう思われようが全く関係ない。ただひたすらに自分を信じる。途中で信念を曲げたっていい。何だっていい。とにかく自分の感覚に従う。それ以外に自分の人生を生きる方法はない。

自分と向き合う

それがすべて

 自分と向き合っていれば他人にかまっている暇はなくなる。誰が何を言ったって構わない。各々精いっぱい自分の人生を生きているんだ。面と向かって喧嘩を売られでもしない限り放っておけ。オレはオレの人生で忙しい。それで終わりだ。なぜこれまであんなに人目が気になったのか不思議なほどだ。自分だけを見つめてすがすがしく生きよう。

受け入れざるを得ない事との向き合い方

 気に入らなくても受け入れざるを得ない事が山ほどある。この世はそういう事まみれだ。なぜそういう事ともっと真摯に向き合ってこなかったんだろう。義務教育のカリキュラムに組み込みたいくらいだ。売れ入れられない思いを抱え続けて苦しむような生き方をしてきた。世の中はこれでもかというくらいクソであるという理解ができた途端その苦しみは泡となって消えた。

幻想に包まれる地獄

 オレはずっと幻想の世界に生きてきて、なぜ正しい事が負け続けるのかを苦しい思いで噛みしめ続けてきた。正しさなんてものは幻想であるという真実にたどり着いてやっと解放された。正義などなく、民主主義など幻想で支配者は傲慢で弱者には権利もなく、そういう当たり前に垂れ流されている世界の真実と向き合うのが怖かったのかもしれない。受け入れた方がよほど楽だとも知らずに、幻想に飼殺されていたのだ。

自分の人生を生きよう

 結局のところ、それに尽きる。自分と向き合い、現実と向き合っていれば後のほとんどは余計な物事だ。否定する必要もない。そこには自分にはどうにもできない事実が横たわっているだけだ。超えるべき障害というわけでもない。事実はいつでもそこにあるだけだ。解釈は自由である。事実をありのまま受け入れる事が難しいのは受け入れたくないからだ。そこに気付けば開ける道もある。

あるものも無いものも受け入れて自分の人生を生きよう。

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