非難しない生き方

雑記

 人のことは放っておくという生き方、考え方。政治家でも芸能人でも関係ない。放っておく。非難しても不満は消えない。今回はこういう考え方を検証してみる。上手くいけば少しは生きやすくなるかもしれない。

Choice is yours.

例えば

例1

 例えば政治家がひどい失言をする。それをニュースで知って嫌な気持ちになる。ここで攻撃したくなる衝動が生まれる。ネットで非難を浴びせる。非難の数が多ければその政治家が失脚することもある。ざまあみろという気持ちになる。

例2

 例えば芸能人の不倫がばれる。それをニュースで知って嫌な気持ちになる。ここで攻撃したい衝動が生まれる。ネットで非難を浴びせる。非難の数が多ければその芸能人が仕事を失うこともある。ざまあみろという気持ちになる。

例3

 例えば警察官が不祥事を起こす。それをニュースで知って嫌な気持ちになる。非難せずにはいられない衝動が生まれる。ネットで非難を浴びせる。いつの間にか軽い処分でうやむやにされることがある。ふざけるな、卑怯だ、フェアじゃない、という気持ちになる。

よく考えてみる

 この繰り返しはいつまで続くんだろう。必要だった情報はいくつあったんだろう。ざまあみろと思う結末を迎えたはずの事件を起こした人物は今ものうのうと業界で幅を利かせていないだろうか。おかしな結末を迎えた不祥事の犯人は今ものうのうと暮らしているのではないか。今この国で1個人の力はそういうものと戦える戦力たりうるだろうか。心を乱されるだけニュースを見るのは損なのではないか。不満を抱えていたとして、自分に何ができるのだろうか。

許せない事でも忘れていく

 一体何度許せないような事件がニュースで流れただろうか。その事件を今も覚えているだろうか。許せないとして、自分に何ができただろうか。世の中は少しでも良くなっているんだろうか。全部知らなかったとして何か問題だったろうか。弱者の思い通りになどなりはしない。悲しい現実がそこにはある。

現実を受け入れる

 むかつく政治家も頭にくる芸能人も別の世界を生きる他人だ。そいつらをどうこうできる権力を持たない弱者はただ情報を受け取るだけだ。事実かどうかすらわからない編集された情報を提供されるだけだ。個人の感情に関係なく、それがこの国の事実だ。受け入れざるを得ない。受け入れたうえで最善を尽くすしかない。政府を倒すための1000万人の組織がこの国あれば話は違うだろうが残念ながらそんな組織はこの国には存在しないようだ。芸能界をつぶすための1000万人の組織があればできることもあるだろうが、そんな組織も存在しないようだ。

今は放っておくという選択肢

 立ち向かうわけでもなく非難だけするのが虚しくなったらもう放っておいて自分の人生に集中して生きよう。問題から目を背けられない真面目さを手放して、手出しできない問題は放っておこう。そういう選択肢もアリだという事を頭に入れておこう。どうにもできない問題に頭のリソースを割いてしまうのはもったいない。自分の人生に全力を注いだ結果、人を集められる影響力や権力、大金を手に入れたらその時に行動を起こすかどうか考えればいい。

今できない事を望まない

 要するに今解決できない事を望まないという生き方。自分の力の及ばないところを意識しない生き方。情報というのは取捨選択が大切だ。捨てる情報を決める事で得られるリソースを別のものに使う。強大な権力を手にした時に正義感を維持できない人が多いから権力者たちは腐敗するのかどうかは知らないが、権力を持たない内にどんな崇高な思想を持っていても、力を手にした後にその思想を実行できる人は少ないのだろう。そうでなければ世の中はもっと良くなっているだろうから。

自分に入れる情報は意思をもって選択しよう。

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