何年前か忘れてしまったけど、以前はてなブログやってた時に書いて一番人気だった記事をこちらに再掲します。前に読んだことあるって人はありがとうございます。パクりじゃないのでご安心下さい。追記もたくさんしたので一度読んだ方も良かったらもう一度読んでみて下さい。
INDEX
25歳から雪山に山籠もりした話
この物語は私チェスが25歳の頃にスノーボードが好き過ぎたために思い切って会社を辞めて雪国に移住した時のお話。
山ごもりを検討しているスノーボーダーはもちろん、就職を考えている大学生や趣味で移住とかしてみたい人なんかにも参考にしてもらうおうと思って書いた体験談です。ノンフィクションだけど身バレしないようにちょこちょこボカしてあるのは許してね。
当時の状況
都内のIT系の会社に2年近く勤めていた頃の話だ。
当時のオレは、自分の勤める会社の偉い人たちを見て、尊敬したり憧れたりできなかった。「人生つまらなそうだな。ああはなりたくねぇな。」と感じていた。
それまでの人生は、自分のしたいように、興味のあることには飛び込みまくって生きてきたという自負があった。会社では自分が自分らしく挑戦できない場面に多数遭遇していたし、サラリーマン続けたいなら色々我慢しろ、諦めろという当たり前に存在する圧力も嫌だった。
会社員になって2年、それなりに仕事にも会社にも慣れてきていて、何となく先が見えるような気にもなっていた。
今から思えば気のいい先輩や同僚に囲まれて暮らしていた恵まれた時期だったが、仕事が忙しい時は深夜まで働くことが多く、おかしいと思う会社の仕組みに口出しもできず、相当うっぷんは溜まっていた。若さゆえの不満も多かった。
若い頃の自分は今の40過ぎの自分とは世界の感じ方が違う。大事なものも違うし、一生をこの環境で過ごすのか?という不安もあった。
気に入らない立場が上の人間にも一生頭が上がらないんだろうか?それはすごく嫌な気がした。
社内に気に入らない人間なんていて当たり前なのだが、その時期は若さのせいか、ストレスのせいか、やけに人の嫌な部分ばかりが目につくように感じていた。
自分が良くない方に変わっていってることに危機感を覚えていた。
このままでは自分の人生なんだかヤバイ気がする。
漠然とした不安を感じていた。
貯金100万円達成がもたらしたもの
時同じくして、その時期に目標にしていた貯金100万円がやっとのことで貯まった。
「これだけあれば雪国に移住して冬はスノーボード三昧の生活ができる」
という閃きが頭をよぎった。楽しそうなイメージが頭を埋め尽くしていく。
雪国に移住したいと思った。もっと挑戦的な人生を送りたいと思った。
オレはまだスノーボードをやり尽くしていない。もっと思う存分スノーボードしたい。
思い返してみると、かなり欲望に忠実な思考回路だった事が、今ならばよく分かる。
こういう思い切った行動が選択できることが若さの特権だ。特権は使ってこそ機能するものだ。とにかくやるなら今しかないと思った。
とはいえ、せっかく大学まで卒業して面倒な就職活動を終えて就職して慣れてきた会社に別れを告げるのは惜しかった。都内でのある程度安定した一人暮らしを手放すのも惜しかった。よく遊んでいた都内の友達と距離ができるのも嫌だった。
それでも、スノーボードのために雪国に移住したい。でもそれでいいのだろうか。迷う。どうしたものか。
自分一人では決めきれないと感じて友達に相談することにした。
スノーボード好きな友達2人に相談
友達の中で一番スノーボードが好きな2人の友人に話を聞いてもらうことにした。オレたちは仕事も年齢も住んでる場所もバラバラの3人だったが、スノーボードを通じて親交が続いていた。
夜のファミレスで久しぶりの再開を楽しんだ後「仕事を辞めて雪国に住もうかと思っている」という話を切り出した。
2人の反応はもの凄くあっさりしていた。
「あ、オレも行きたいなぁ。」
「オレも行きたい、ちょうど仕事も辞めたいと思ってたし。」
こいつら本気か?軽すぎないか?悩んだオレが頭悪いみたいだ。
あまりにもあっけなく一緒に行こうとする友人2人に対して「いやいや、もっとよく考えなくていいの?という心配が溢れてきたので色々聞いてみたが、どうやら2人とも本気だ。
ヤバイ、こいつらオレよりずっと振り切ってるぞ・・・。これは予想外の展開。
どこかで止めてもらいたかった自分もいたのだ。
でも、そうだよな、オレたちスノーボード大好きだもんな。働いてる場合じゃねぇよな!
熱い何かが込み上げてきて、改めて意気投合したオレたち3人は次の冬から雪国で一緒に住むことに決めた。それぞれが仕事を辞める時期や必要なお金のことなどを話して、秋くらいには住む家を探しに行こうということになった。
「じゃ、次は秋頃に現地の不動産屋で会おう。」
という約束をしてその日は別れた。
帰り道で一人、この流れは神様とかそういう存在がオレに行けと言っているんだろうな、とか考えていた。
答えはきっと、いつだって自分の中にある。でも、迷う事もある。
そんな時は友達が気付かせてくれることもある。
オレは、自分の内なる直観に従って生きていく事にした。
サラリーマン生活の終焉
会社を辞める決意が固まったので、まずは仲の良かった先輩にスノーボードのために雪国に住みたいから会社を辞めたいと伝えた。
驚かれたが、仕方ないという感じで、強く引き止められる事もなく、ちょっと悲しかった覚えがある。その先輩がオレが辞めた後で泣いたという話を後で聞いてちょっと嬉しかったのも覚えている。
次に、ネットで辞表の書き方を調べて書いた。上司に辞表を渡し、社長に辞める旨を伝えた。
あぁ、オレはこの環境を捨てるんだな。そんな事を感じていたと思う。
よくみんなで飲んでいた部署だった事もあり、お別れ会もドンチャン騒ぎで気持ちよく送り出してもらえた。
いい同僚に恵まれていたのだと、今ならば良くわかる。
当時のオレが見ているのは会社への不満とスノーボード生活への憧ればかりだったが、思い返すとこの頃の会社員生活にもいい思い出はたくさんあった。
とにかく揉め事も無く会社に別れを告げたオレは実家に戻ってから数ヶ月ほど、仕事のない、夢に向かう準備期間を満喫していた。
まずは仕事をしなくてよくなった解放感を全身全霊で感じた。
会社を辞めて気の抜けたオレは1週間丸々浴びるように朝から晩まで呑んだくれてしまった。仕事を辞めた事がある人には分かってもらえると思う、完全にすべての束縛から解き放たれたようなあの日々の感動を。でもお酒の飲みすぎは良くないよ!ほどほどにね!
家探し!
秋になり、雪国移住のため現地の不動産屋に行って物件を見てまわった。
オレたちが行ったのはバブル期の開発によりリゾートマンションだらけの地域。
そのため、どう考えてもリッチすぎるような部屋が比較的安価で貸し出されていた。
3つほど物件を見たところで気に入る部屋を見つけた。
家賃66000円で間取りは1LDKだったが、LDKが20畳もあったので仕切りで区切ればみんなで暮らせる。敷金1ヶ月分、礼金なしだったと思う。
3人で住むので1人当たり22000円である。
この部屋に決めた。
しかも、運良く訪問時に付いていた家具全部(ソファやベッド、テーブルや冷蔵庫、電子レンジまで)をそのまま貰うことができた。なんというラッキー。
ちなみに、共用施設がスゴイことになっていた。
- 24時間入れる大浴場
- ジャグジー
- 25メートルの温水プール(滑り台付き)
- ビリヤード台(有料)
- シアタールーム
- トレーニングルーム
- 1Fにコンビニ(冬のみ)
バブル期に建てられた物件だった。世の中にこんな物件あることを初めて知って衝撃を受けた。そんな贅沢設備のついた物件をこの値段で借りれるなら賃貸生活バンザイだ。
良い物件にも出会えたし、新しい生活が始まるという期待でワクワクしながらその日は帰路に着いた。契約手続きの諸々は、3人の中で一番そこから家が近い友達がやってくれることになった。助かった。
車
その頃、オレは車を持っていなかったので、安く手に入りそうな車を探していた。
無職で暇していたので、久しぶりに会った中古車屋に勤めていた友人と飲んでいた時に
「なんでもいいから何か安い車ないかな?」
なんて聞いてみたところ、意外な答えが返ってきた。
「ちょうど要らなくなる車があるからそれで良ければあげるよ」
!?
なんだってー!?
思い出してみても不思議だ。こんな事ってあるのか?と展開を疑うほどトントン拍子に話は進んだ。
結局名義変更の手続きまでしてもらって、世話になりっぱなしだった。
なんでこんなに良くしてくれるんだ?と聞いてみた。
オレがかつて彼に良くしてくれたからだ、とのこと。
仲は良かったけど、車を貰えるほどの事をした覚えはなかったが、とりあえずお礼はラーメンでもおごってくれればいいと譲らなかったので甘える事にした。
ありがとうありがとうマイフレンド。そんなこんなで車が手に入った。
出発
貰い物の車に夢と荷物を詰め込んで賃貸契約の始まる日に合わせて出発した。
ワクワクが止まらないドライブだった。ハッキリ言って幸せだった。
他の2人は仕事を辞めるのに引き継ぎが発生したりいろいろあってまだ来れないらしい。1ヶ月くらいは1人で暮らすことになった
リゾートマンション生活で感じたこと
バブリーな時代の物件の豪華な共用施設を使いまくりの日々がやってきた。
まだシーズン前だったこともあり、マンションにはあまり人がいなかった。そのため、施設はほとんど貸し切りで使う事ができた。
1人なのをいいことにフルチンでプールを泳ぎまくって遊んでいたら管理人さんに見つかって注意されてしまった。反省。
サンドバッグを殴る蹴るしまくって汗だくになったら、広い温泉に浸かったりサウナでまた汗を流したり、シアタールームで1人で映画観たりと、とにかくはしゃいで意味もなくやりたい放題した。
初めのうちは楽しかったが、どれもこれも全部1人だったのでだんだん寂しくなってきた。
広い部屋に住んで素晴らしい施設を使い放題でも1人では持て余すだけである、という事を学んだ。
年老いて、本当に隠居生活ができる日がくるとしたら、その時は誰かと一緒にがいいな、と思った。
とにかく友人の到着とゲレンデのオープンが待ち遠しかった。
友人到着!シーズン到来!
待ちに待った友人が到着した!
雪も積もってゲレンデもオープンした!
一気にテンションマックスの日々が訪れた。望んでやまなかったスノーボード三昧の日々を手に入れたのだ。
それから数ヶ月の間は、バラ色の人生だった。
基本的な生活は、昼間ゲレンデで滑って夜は宴会。それだけだ。
スノーボード&宴会!スノーボード&宴会!
永遠に繰り返したいと思える日々だ。
望み通り、いや、望んだ以上の素晴らしい生活を満喫した。
ゲレンデでの知り合いも増えていって、一緒に飲みに行くような友人もできた。
楽しく雪国に溶け込んでいくうちに、1回目の冬が終わろうとしていた。
楽しい日々は過ぎるのが早い。山に積もった雪も徐々に減っていき、永遠に続いて欲しいと願ったシーズンが過ぎようとしている。
葛藤
シーズンは終わろうというのに、オレは自身の目標であるF720をメイクできていなかった。
目標を達成できずにシーズンが終わりに近付いていく感覚は大嫌いだ。
嫌いだが、できないものはできないのだ。無茶をして怪我でもしたら余計に目標からは遠ざかってしまう。
もっと早くからこうしていれば良かったんだろうか。雪国に暮らす決断が遅すぎたのではないかと悔やむ夜もあった。
なにせすでに25歳なのだ。今から思えばまだまだ若いのだが、色々と焦る時期だった。選手としてスノーボードで食べていきたいのならとっくに遅すぎる時期でもあったし、技術も追いついていなかった。
ゲレンデでできる友人はほとんどが年下である。そして、オレより上手い人が嫌なほどたくさんいるのだ。
今から目標のF720ができるようになったから何だというのだろう。そんなふうに考えてしまう程には歳を取ってしまっていた。山から降りれば履歴書にでかいブランクのあるだけの人物ができあがるだけだ。
しかし、目標を達成せずにはその先の人生を自信を持って生きれる気がしなかった。
好きな事くらい投げ出さずに目標に向かって突き進むように生きたかった。
しかも、この先は挑戦が遅れれば目標は達成できないままになってしまうかもしれない。
今しかできない挑戦だった。シーズンが終わっていく切なさが、強く、キツく身に染みていた。
ほどなくして到来した春が、その冬の終わりを告げた。
春
冬の終わりはシーズンの終わりじゃない。
春のスノーボード、雪はベシャベシャ。土が見えたり草が見えたりして山の色が変わっていく。
パウダースノーには出会えるはずもなく、1〜3月の盛況に比べると人もまばらでなんだか世間から取り残されたような哀愁が漂う。
それでもまだゲレンデは開いている。春なのにスノーボードできているのが嬉しい。
気温が上がって陽気さが増してくる中でのスノーボードもまたいいものである
パークのアイテムも減っていくが、仲間とワイワイハイキング気分でBOX遊びでもできればそれだけでも最高の時間を過ごせた。
シーズン終了
そうこうしているうちに雪は融けていってゲレンデは営業を終了。今シーズンは終わりを告げた。
大きな怪我もなくシーズンを終われたことに感謝し、届かなかった目標について「次のシーズンこそは」と決意を新たにして気持ちを切り替えていく。
ゲレンデで毎日のように会っていた人たちも、そのほとんどが地元に帰っていく。同居人も1人地元に帰る事になり、2人暮らしになった。人が減っていくのは寂しいものだ。何度味わっても慣れなかった。
冬という大きなお祭りが終わったような寂しさが漂っていた。
そして、春になると雪の白さが隠していたものがニョキニョキと姿を現してくる。
ここからはなるべく直面したくないお金の事、仕事の事と向き合う時間だ。
減っていく貯金残高や増えていく将来への不安なんかに負けないように、こんなふうに考えるようにしていた。
やりたいことがあって、それができる身体があるのだ。望んだことををやれているなら、それだけでも幸せじゃないか。
少しでも長くこの生活が続けていけるように願っていた。そして、次の冬も楽しく滑るためにはお金が必要だ。
アルバイト
オレは家から最寄りのコンビニでアルバイトを始めた。同居の友達は近所のガソリンスタンドで同じくアルバイト。
バイトを通して何人かの友達ができたが、雪国に住んでいるのにスキーもスノーボードもしない人たちばかりだった。
パチンコやゲームが趣味の人が多くて、とても残念に思った。
そういえばゲレンデで知り合う人たちの多くは県外の人が多く、地元の人は少なかった。
人が羨むような環境にいても本人にとってやりたいことと関係なければ何の意味もないんだなぁ、なんて思ったりした。
オフシーズンの暮らし
シーズンの終わったゲレンデ付近での暮らしは平和でのんびりしていて、地元民曰く「なーんもないよね」であった。
勢いで引っ越してきたけど、冬以外の暮らしをあまり考えていなかった。
- バイト
- 麻雀
- 飲み会
これしかしてないような気がしてくる。何だこの生活は?
やばい。貴重な時間がどんどん溶けていく。これなら都内でサラリーマンをしている時の生活のがマシだったんじゃないか?一体何をしに来たんだオレは。そんなことも考えてしまう。冬は最高でも春夏秋とこんなふうに時間を過ごすのはあまりにもつらい。
たまには海に入ってサーフィンしたいと思っても遠すぎる。
あれれ?こんな暮らしがしたくて引っ越してきたのかオレは?そんな疑問が膨らんでいく。このままだと何かマズイ気がする。
たまに都内で遊んでいた友達が何人か来てくれたが、彼らと話していて、オレは都会が恋しくなっているのだと分かった。友達はオレの暮らしを羨ましがっていたが、オレは彼らが羨ましかった。お互いに無いものねだりをしているのだ。
都会にいると田舎が恋しくなるなんてのはよくある話。
そして、田舎にいると都会に出たくなるってのもよくある話。
バランス良く生きるには季節ごとに行ったり来たりするとか、中間地点に住むとか、それぞれが生活のスタイルや趣味に合わせて選択していくしかないのかもしれない。全てが揃った土地は存在しないのだ。その土地毎に望むものがあるのなら、自分が動くしかない。
これからどうしていくのかは次の冬を過ごしてから決めよう。
冬を待ちわびて
それにしても冬が恋しい。早くスノーボードがしたい。
そんなふう考えているうちに季節は流れていった。
夏が終わり秋になり、雪はまだかと待ち望む日々は続く。
その頃になると、曇りばかりの天候に気分が飲まれていた
この地域は晴れる日が少ない。どんより曇っている事が多いのだ。
当時たまたま読んだ江戸時代の文献にもそれが書いてあるほどで、晴れが少ないことがどれだけ気分を滅入らせるものなのかを体験していた。
朝起きて外を見る。またどんよりと曇ってる。青空が、爽やかな日差しが欲しい。日を思うように浴びなれない日々が続くと気持ちが暗くなっていく。
なんとなく同居している友人との仲も微妙な感じになっていた。2人で生活の不満をぼやく事が増えた。お互いもっと陽気な人間だった気がする。
今思い返せば分かることだが、2人共その気候にやられていたと思う。
毎日大浴場で温泉に入りジャグジーも温水プールもあるのに、オレたちはそれよりも晴天が欲しい、早くスノーボードしたい。そんな気持ちだった。温泉にもプールにも慣れてしまい、飽きていたのだ。
部屋の浴室のが1人で落ち着いて入れるからと大浴場に全然行かなくなった時期もある。
リゾートマンションに住むことで、より良い隠居生活の仕方をたくさん考えるようになった。
しかし、そんないつ役に立つかわからないことよりも、もっと近い将来に役立つような事を学びたかった。
冬到来
色々なことが限界に近付きつつあったが、初雪が降り、ゲレンデがオープンして待ちに待ったシーズンが始まった。
それまでの鬱憤を晴らすようにスノーボードを思いっきり楽しんだ。
先シーズン毎日のように滑り込んだ事が効いているのが分かる。オフシーズンもトレーニングルームでちょこちょこトレーニングしていたこともあり、シーズンインして間もないのに、どんどん体が軽くなって板が思い通りに動くようになっていく気がした。
今年こそ目標のフロントセブン(空中二回転)をメイクするぞ!
まだかまだかと冬を心待ちにしていたオレは、やっときたシーズンにはしゃぎまくっていた!
このためにここにいるんだよオレは!溜め込んだストレスが晴れていくのを感じていた。
待ちに待った2年目の冬。パークもできあがって、でかいキッカー(ジャンプ台)もオープンした。そのキッカーを見上げて生唾を飲む。
ゴクリ・・・
でかい、怖い。
15メートルは飛ばないと越せないキッカーだ。
リップ(飛び出すところ)の角度がキツく感じる。打ち上げ系のキッカーだ。
ランディング(着地点)はリップより2メートル以上の落差がある。それまでこのサイズはまっすぐ飛び越すのがやっとだった。怖くて回したことがない(スピントリックしたことがない)。
だが、今年はここで回してみせる!
目標を確認してやる気をみなぎらせた。このキッカーに慣れるまでしばらくは安全優先で飛びながら、イメトレに徹することにした。
今シーズン中にこのキッカーF720をメイクする。そう考えただけで手に汗を握ってしまった。
挑戦
そして、その日は来た。
空は青く、雪の状態も自分のコンディションもイイ。
その日はローカルや常連の人たちが少なくてキッカーは空いていた。山で知り合った挨拶程度の知り合いの人(オレより上手い)が1人でそのキッカーをハイクアップして練習しているだけだ。ルームメイトはバイトなのでオレは1人で滑っていた。今日は挑戦するのにもってこいの日だと思った。
落ち着いて、冷静に、自分ならできると信じてまずは1本ストレートで飛んでみることにした。ビビって速度が足らずにフラット落ちするのは避けたい。かといって飛びすぎると最悪だ。ちょうどいいスピードを意識してアプローチする。
何度飛んでもその日の1本目はかなり緊張してしまう。緊張感に負けないように集中した。スピードが乗ってキッカーに近付いていく。台の頂点付近は白い壁しか見えないが、そこを抜ける瞬間に一気に視界が開ける。
ビビりながらもリップで軽くオーリーを入れて、空中でバランスを取るきっかけを作る。思い通りにインディーグラブがキマり空中で安定したのも束の間、今度は着地に意識を集中する。速度がちょうど良かったので落下点はいい感じの場所になりそうだ。
ランディングバーン中腹の斜面に着地がキマり、ホッとする。よし。いい感じだ。今日こそ回してみよう、と決心した。
ハイクしようかと思ったが、イメージを高めるため、決意する時間をゆっくりとりたかったので1回下まで下ってリフトで戻ってきた。
とうとうやるのだ。はっきり言って怖い。でも乗り越えるための練習はしてきたつもりだ。
スタート台に立ち深呼吸。まずは一番得意なB360で挑戦すると決めていた。このキッカーで回すことができたら、オレはもっと自分を誇れるだろう。
イメージを固める作業に入る。アプローチは緩やかに左、右とカービングして、次の左で飛び出す。飛び出す場所は真ん中より1.5メートルくらい左にしよう。心臓がバクバクしてくる。意識も何だか集中できない。
真っ白になりそうなアタマを落ち着かせて成功のイメージで塗りつぶしていく。これまでの練習でうまく行った感覚を、すがるように思い出していた。
自分の準備ができるまで5分くらいかかっただろうか、心の準備ができるまで待ったのは正解だったと思う。闇雲に突っ込んでケガするのは避けたかった。
GO!
行くと決めてアプローチ。スピードが上がっていく。イメージ通りのラインと体勢でリップに向かっている。
シュバッ!
割といいタイミングでリップを蹴り出せた。前は見えないが体で分かる。
グラブを入れる余裕はなく、蹴り出した時の勢いに任せて回っていく。270くらい回ったところで真正面にランディングが見えてきた!いい感じだ。速度もぴったり。最後まで気を抜かずに着地の衝撃に備える。
ザシュッ!
ちょっとテール寄りの着地になったけど、こらえられた!
回せた!やった!怖かった!アドレナリンが出まくりで興奮が冷めない。着地の直後に下の方からキャーとかすごーい!とか黄色い声が聞こえた。
え?オレの事?マジで?と更に浮かれた。確認したわけではないので、仲間内で盛り上がって騒いでいたのがたまたまタイミング良く聞こえただけなのかも知れなかったが、都合よくオレの事だと思うことにした。
こんなに怖い思いを乗り越えて挑戦したんだ。それくらいの勘違いはしたっていいだろう。とにかく今はこの喜びを噛みしめたい。人気のないコースの外れまで突っ切って周りに人がいないことを確認してから思いっきり叫んだ。
ウォー!っしゃー!うおー!
目標のF720が回せたわけではない。まだB360が1本うまくいっただけだ。それでも、このキッカーで回したという事実がオレに最高の達成感をもたらしていた。
今夜は宴(うたげ)だ!とか考えてルームメイトにどうやって話そうかワクワクしていた。緊張感から解放されて膝がプルプルしていた。興奮がなかなか冷めなかった。
今思い返してもその喜びは他では味わったことない種類のものだったと思える。オレのスノーボード人生で一番想い出深いエアーの1つは間違いなくこれだ。
その夜、ルームメイトに喜びを分かち合ってもらい、浴びるほど酒を飲んだ。
Keep going!
目標とするキッカーで無事にB360をメイクったオレはその後F360もメイクする事に成功した。グラブを入れながら回せるようにもなってきた。
絶好調だった。それまでのスノーボード人生で最も高いスキルで、もっとも充実した時期を過ごしていた。
あそこで回せたら世界が変わるような気する。
そんなふうに思っていたキッカーでスピントリックを練習できるようになって、オレは自分のプライドが満たされていった。これでオレも上級者の仲間入りだ、みたいに感じていたと思う。
実際に世界は変わったんだろう。今までよりも誇らしい気分でいられた。飛べないキッカーに対する劣等感、回せないキッカーに対する恐怖感、そういったネガティブなイメージから少しずつ解放されて言った。
飛んだ後で知り合いや友人に今の良かったね!なんて言われると嬉しくてもっともっと上手くなりたくなった。輝かしい伸び盛りの時期がもっとずっと続いてい欲しい、そう願っていた。
ここまでがオレのスノーボードライフのクライマックスだったのかもしれない。そこまで上手くなればもっと輝かしい世界に足を踏み入れられるような勘違いをしていたから突き進んでこれた。だが、一つの壁を超えて見えた次の壁はさらに大きくそそり立っていたのだ。
暗雲
実際、オレよりもっと上手い人などそのゲレンデだけでもたくさんいた。その人たちを見る度に、自分のいる地点を再確認せざるを得なかった。
この世界で選手として食べていけるような可能性は見えないどころか、状況を認識するほど遠ざかるように感じた。すごい人の凄さが分かるのは、ある程度自分も上達してからなのだ。いつか自分もああなりたいと夢見たような海外のビデオスターたちはもはや同じ人間とは思えなかった。
浪人してまで入った大学を卒業して入った会社も辞めて、オレは一体何をしているんだろう。向かう先に明るい未来はあるんだろうか。そんなことを考える時間も増えてきた。
自分なりの目標に近付くにつれて、それが達成できたところでスノーボードの世界で食べていけるわけじゃないという事実が重くのしかかるようになってきていた。
オレよりも上手くて若い人間に囲まれて卑屈になっていたのかもしれない。未来への不安に気持ちが負け出していた。
怪我
スノーボードに関わらず、スポーツで挑戦的に自分の限界と戦っていればある程度のケガはつきものである。
ご多聞に漏れることなく、オレもケガをしてしまった。
リップの抜け方がイマイチだったのに無理に回そうとして空中でバランスを崩してしまい、しかもスピードが足りていなくてランディングまで届かずに、フラット部分にちょっと無理がある感じで着地してしまった。
その後でだんだん腰がズーンと重くなってきて夜には歩くのがやっとなくらい痛くなってしまった。
滑りっぱなしで結構疲れていたし、数日身体を休めようと思ったが、翌日の朝は起きれないほど痛くなってしまった。何とか滑れるようになるまで4日ほどかかった。
しかし、ミドルサイズのキッカーをまっすぐ飛ぶだけでも着地した時に痛みが走る。ちゃんと治るまで我慢しようと思い1週間滑るのをやめた。そうこうするうちに2月の終わりが近付いてくる。シーズンは短く、時間は待ってくれない。
焦っていた。腰が痛くて家にこもっていたので精神的にもやられていた。ネガティブな感情や見えない未来に押しつぶされそうだった。オレは今、ここでこうしているのが自分にとって正しいのか?そんなことを考えるようになっていた。
復帰
3月になって腰の痛みも取れて、やっといつも通り滑れるようになってきた。
ちょうどその頃にローカルの大会に誘ってもらえたので出ることにした。結果は散々だったけど、新しい友達が増えたり色んなトリックが見れたり、自分の課題が見えたり得るものは多かったと思う。
というのは表向きのコメントで、実際心の中は悔しさやら情けなさやらでボロボロだった。10代でF900をビタメイクするような若者への嫉妬で胸が張り裂けそうだった。
今の実力では何者にもなれないことを改めて思いっきり突き付けられてしまった。分かってはいるつもりだった。しかし、分かったつもりでいることと実際に分かることの間には大きな隔たりがある。この日、初めてはっきりと自分で自分を諦めたのかもしれない。
この先どうする?
終わりの接近
3月も中頃になって、去年と同じく地元に帰る知り合いが多くなってきた。
ゲレンデでいつも顔を合わせていた人がどんどん減っていくのは寂しい。ルームメイトと今後の事を話し合った。2人とも、スノーボードが好きなだけで雪国に越してきた。
そして実際に住んでみて、夢のような暮らしが永遠に続くわけではないという現実を突き付けられるには十分な時間をここで過ごしてきた。
よく話し合った結果、4月末でこの家を引き払ってそれぞれの地元に帰ろうという結論に至った。
オレたちの夢の終わりが、遂に訪れたのだ。
夢にまで見た雪国での暮らし。スノーボード漬けの毎日。それだけで満たされると信じていた。ひたすらスノーボードしてれば何かしら道が開けるんじゃないか、なんて漠然と考えていた。現実はそこまで甘くはなかったが、甘い日々もあったのは確かな事実だ。
夢の国から現実に戻るような寂しさを語り合い、その夜は2人で飲み明かした。
解散
それからはバタバタと早かった。
その後すぐにルームメイトの仕事が4月からに決まったのでルームメイトだけ先に3月末で地元に帰る事になった。
2人だけでささやかなお別れ会を開いた。
出会いから今に至るまでの事を懐かしむように話し込んだ。お別れの当日は2人共感極まって目がウルウルしてうまく話せなかった覚えがある。寂しさや夢が終わる悲しさや過ごした日々の温かさや共有した楽しさなんかがごちゃまぜになってワケがわからなかった。
「いろいろあったけど、お前がいなかったらここまでこれなかったよ、これまでありがとう。また一緒に滑ろうな。」
別れはツラかった。この生活が終わるんだという現実感も一気に増した。
そして、1人になったオレは最後に4月の終わりにある大会に出てから帰ることにした。目標のF720はまだメイクしていない。
最後の日々
始めは3人だったこの雪国暮らしも、ついに残すところオレ1人となった。
夢だけあれば良かったような始まりだったが、夢の終わりがこれほど寂しいものだとは思わなかった。
住んでいたリゾートマンションも冬が過ぎると一気に人が減っていった。そういう事もあって、取り残された感は最高潮。開き直って久しぶりの1人を満喫したりしたものの、寂しさがそれを上回った。
そしてオレはぶり返してしまった腰の痛みと戦っていた。
とにかく最後の大会は出たかったので、それまでに腰を良くするためにあまり滑りには行かなかった。
4月に入り、大会も近付いてきた。とにかくこれで最後だし、と思って出てみることにした。同じ大会に出るゲレンデでできた友人数名と大会の前日から泊まり込みで行くことになった。
そして、遠足気分でテンションが上がりすぎたオレは飲み過ぎてしまう。アホか。翌日、完全な2日酔いで大会当日を迎えた。プレッシャーから逃げるように飲んでいた自分が悪い。とにかく体調は最悪である。
何をやってるんだオレは。実力を全部出しきっても勝てるような大会ではなかったが、悔いの残る1日となってしまった。今となっては笑い飛ばせるが、苦い思い出だ。それなりに楽しんだから良しとしたいところだが、アホすぎる。こんな終わり方にした自分の行いを反省した。
そして現実へ
そして、オレのシーズンは終わった。
大会も終わり、ゲレンデも営業終了するところが多くなり、オレのスノーボードにかけた青春はここで終わることとなった。
今でも通いで滑りには行くし、スノーボードは好きだけれど、今持っている情熱は、当時のような情熱とはまるで違うものだ。
後半は辛いことも多く、書いていて妙に胸が締め付けられることも度々あった。
この時期のツラい気持ちを思い出していて、何というかスノーボードがメチャクチャ上手くなる事はもう無理だということを自分で受け入れてしまったあたり、自分で自分を諦めた瞬間が一番ツラいところだった。
望むように上手くなれなかった自分が惨めで悔しくて甘酸っぱい青春だ。とはいえ、オレはスノーボードから本当にたくさんの幸せをもらった。この先の人生であんなに夢中になれるものに出会えるのだろうか?それを今も探している。
その後もスノーボードを介して友達ができたり、みんなで行くスノーボードでとっても楽しい思い出ができたり、今でもまだスノーボードに取り組んだ分の幸せを受け取れているような状態である。
何よりも「やりたいことをやりたいようにやった」という事が、自分を強くしてくれたと思う。今振り返れば、スノーボードのために山篭りして良かったと思う。
心身の充実した時期に自分の全力をぶつけられるものに出会えて、ぶつけられてよかった。自分のやりたいという気持ちを燻らせずに燃焼しきれてよかった。
その後、地元に戻ったオレは日雇いのバイトや派遣社員、契約社員や無職などの日々を過ごし、現在は起業して4年になる。(これを最初に書いた時はそうだった。今は無職…てへっ)
ちなみに目標だったF720は、その後結構トライしたけどメイクできずに諦めかけていたのだけど、この次のシーズンで12mくらいのテーブルトップのキッカーで思い切って試してみたらメイクすることができた!感動に打ち震えたのは言うまでもない。なんならまだまだ行けるんじゃないか、なんて考えてしまったほど嬉しかった。
これまでのスノーボード人生を振り返って、ひとこと。
ありがとうスノーボードの神様!オレは今でもスノーボードが大好きです!
あとがき
ちょっと書いてみようかと思って始めた昔話。
気が付いたら長々と書き込んでしまい、14,000字を超える大作になってしまった。とはいえ、あとはあとがきを書き終えればそれも終わりだ。
途中でアクセスがぶち上がるという楽しい体験(はてなブログの時)もできたし、書いてよかった。この記事も伸びますように。面白かった!という人は拡散よろしくお願いします。
何より、あの頃自分の中でスノーボードがどれほど大きなものだったのか、自分がどのようにもがいていたのかを改めて知ることができたのはとてもいい体験だった。
これから先も熱くなれるものに夢中になって生きていきたいと思う。この後はサーフィンにハマっていくようになるのだけど、それはまた別のお話。機会があればどこかで書いてみようと思う。
読んでくれた皆さんと、ひとりでも多くのスノーボーダーがハッピーになれるようにお祈りしてこの昔話を終わります。
最後までご覧いただきありがとうございました!
では、雪山で逢いましょう!
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