片付けよう

雑記

 今回のテーマはズバリ、「片付け」である。オレの人生は片付けからできるだけ逃げよう逃げようとしてきた。何故なら、面倒臭いからだ。しかし、長年の経験から片付けない方が後々メンドクサイことになるという事を知っている。鍵が無くなったり探し物が見つからなかったり荒れた部屋には罠がいっぱいある。

片付けられる人になりたい

 もういらないものに囲まれて暮らすのは嫌だ、片付けよう。そう思って今日は玄関を片付けた。いらないものを捨て、いるものを整頓する。それだけで見違えるように快適な空間が出来上がった。玄関が綺麗になって調子に乗ったので、明日は部屋を片付けてみようと思う。

 いきなり追い込むとやる気を失いそうな危険があるので、まずは「いらないものを捨てる」ことから挑戦してみる。なに、ダメもとで始めてみるだけさ。無職なんでね。

自分なりにやってみた

 よくやった、と自分を褒めたい。進行状況は半分も進んでいないが、自分なりによくやった。普段から片付けていないので不慣れな作業に時間が取られる。書けた時間ほど進んではいないかもしれない。それでもいい。

人生全て自分なりにやれることをやることしかできない。

 これは真理だ。真理なので当たり前のように思える。当たり前に感じる真理を軽んじてはならない。これは経験からくる感覚だ。大切な事は当たり前の表情でそこにある。そんなものだ。特別を求めると大抵望まない方向に進んでしまう。経験から学んだことだ。

楽ではないが、達成感がある

 そして、片付いた部屋で過ごすのは楽だ。だから、今は楽ではないがオレは片付けをする。頑張るとかではない。ただやる。それだけだ。

人生はいつだってやるかやらないか

大きく分ければこの2つだ。諸事情によりできない事も多い。だからやらないを選択せざるを得ない場面も多い。そこでよく挫けてきた。不平等を呪い、不公平に異を唱えた。

だが、状況は好転しなかった。日本という国の形成する社会は弱者に不寛容だ。挫けたら挫けたヤツが悪いという理屈や常識がはびこって長い年月が過ぎている。

国を呪っても政府の解体を叫んでも状況は改善しない。ならできることをやるしかない。始めから選択肢はそんなもんだ。オレはそれに気付いた。だからこうして表現して突き進む。心から湧き上がる怒りが無いわけではない。だが、それに構ってばかりでは人生が進まない。悔しいがマスコミは有利で強いままだし、政治家は未だに理不尽を押し通し続けている。国民など国家の管理する家畜のように思っている奴もいるだろう。くそ。いたたまれないがオレには立ち向かう権力も金もコネもない。だからこうして言葉を綴る。それがオレにできる事だからだ。共感してくれる同士が集えば新しい道が開けるかもしれない。現時点で可能性はほぼゼロだ。だが、未来など誰にも分からないものだ。自分の活動を決めたらやり続ける。そういう戦いをする同士をオレは心から応援する。

部屋が片付くと頭も整理される?

 そんな事を考えてしまうほど頭がスッキリしている。これが片付け効果なのか?プラシーボ(思い込み?)効果かも知れないが、何となくいい感じだ。

汚れている部屋にいる。

というストレスが減ったから集中力が増したんだろうか。何にせよ無職の間は毎日片付けすることにした。余裕が出てきたら筋トレもしたい。ブログも毎日せっせと更新したいし美味しいものも食べたい。やりたい事をやって生きていく。無職の間にそういう暮らしを身に着ける。なんならこのままブログの収益化を図ってブロガーとして生きていきたい。挑戦を続けるしかない。できるだけ快適な環境と健康な心身で続けられるように進める。

何したらいいか分からない時は片付けよう

 これは若い頃の自分に伝えたい。言う事など聞かないかもしれないが、伝えられるなら伝えたい。ダラダラ過ごすだけでは部屋も心も荒れてしまいがちだ。やることは自分で作り、実行する。世を嘆く時間は程々にしなければならない。

 記事を書きながらも目に付いたゴミを捨て使わないものをしまう。これだけでも快感を得られている。これは、クリーンナップハイかも知れない。気持ちが冷める前にせっせと進めてみる。

 それにしても我ながらよくここまで散らかしたものだ。散らかりの激しいエリアはどこから手を付けたものか迷う、まるでパズルだ。そう思って少しずつパズルを解いていくのはなかなか良い。

 そろそろ疲れてきたので今日はここまでとする。

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