ストロングな日々

ストロング。近年このワードだけでピクッとなる人も多いのではないだろうか。

何かにハマる事を延々と引きずりこまれて抜け出せない様子から「沼」と表現する方々がいるが、オレの場合、まさにストロング沼にハマっているのかもしれない。

なるべくストロングな日を減らして、長いストロング人生を送りたいと思っているが、どうしてもストロングせずにはいられない日も多々あり、寿命を削ると薄々感じているにもかかわらず、ついつい目の前の誘惑に負ける事が多い。

ストロングのもたらす感覚の虜なのだ。

生きがいを見失いそうになる日々の中で燦然と輝きを放つストロングに照らされて頬を染める時、生きがいのような抽象的な概念を捕まえた気になる日もある。

ストレスが最も体に悪いものだとして、ストロングはそのストレスを吹き飛ばし得る数少ない恵みなのだ。ストロングが体に与えるダメージはよく分からないが、ストレスよりはマシなのではないだろうか。だからみんなこぞってストロング沼にハマるのではないだろうか。

閉塞感、格差、パワハラ、長時間勤務など、数億円の高額当選でもなければ吹き飛ばせないような巨大な社会の壁から受けるダメージを緩和する数少ない手段なのだ。

不機嫌を振りまき、弱者をゴミのように扱い、そうするのが当然のように自分の機嫌に任せて当たり散らす上司から逃れてたいと願うのに、次の職場が今よりマシだという保証などない世界で、どうして思い切って転職に踏み切れるだろう。

サラリーマンという枠組みに限界を感じていても、独り立ちするための準備が整う日は遠そうだ。今の会社が気に入らなくともしがみつくしかない。

こんな思考になるのは、転職を繰り返し、独立して廃業したりと経験を重ねた結果、成功を収める前に年を重ねてしまったからだろう。

そこそこマシな方だから、という判断の元に、人生を溶かしている。

魂は叫び続ける。最も深いところで。

何でこんなクソ野郎にパワハラされて言い返す言葉もなく受け入れているのか!?

「分かってるよ、分かってるんだ。だけど、できないんだよ。」

そんな風に答える俺は、昔、死んでもなりたくないと願った大人の姿をしている。

「分かってる?何がだよ?分かってないから甘んじてそんなクソの下でヘラヘラしてんだろうが!言い訳するんじゃねぇよカスが。」

若い頃の自分が成し遂げられずに歳を重ねたオレを責める。

オレには言い訳しかできない。

物語は終わりを求めている。

しかし、終わるには早すぎて、悔しくて、諦めきれないのがこの人生だ。

そういう所業無情を吹き飛ばしてくれるストロングの優しさに甘えて今夜も頬を染める。

同志たちよ。負けるなよ。オレもきっと、同じようなもんさ。

同志たちよ。挫けるなよ。ツラい時は吐き出して、また明日を迎えようぜ。

成功せずに歳を重ねたって、いつかを夢見て生きようぜ。

じゃ、いつかまた。おやすみ。

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