楽と幸福

雑記

 今回は前回からこのブログのテーマになった「楽して幸せに生きる」について掘り下げてみる。「楽」と「幸福」という言葉の意味から見てみる。

これからの人生のテーマ

 楽、ラク、らく。意味は心身に苦しみがなく安らかなこと。たやすいこと。

なるほど。個人的には「苦労しない、たやすい」くらいの意味で使っている。

幸福

 幸福。コウフク、こうふく。不平不満がなく満ち足りて楽しい、という意味。

合わせると「心身に苦しみがなく、不平不満がなく、たやすく、満ち足りて心安らかで楽しい」という事になる。

 心身に苦しみがないこと、不平不満がないことなどは条件として厳しすぎるので省略する。なので「たやすく満ち足りて楽しい」このあたりがこのブログの掲げる「楽して幸せに生きる」の真髄である。

たやすく満ち足りて楽しい

 満ち足りたり楽しんだりするハードルを下げることで「たやすく」を達成できる。満ち足りるにはないものをねだるより、あるものをありがたがる方がいい。楽しむには楽しもうとする心を育てる方がいい。

あるものをありがたがる

 人、もの、金、チャンス、ゆとり、時間、空間など、今自分が「ある」と感じれるものを感じて生きるようにする。

楽しもうとする

 料理、掃除、洗濯、着替え、風呂、食事、睡眠、休養、移動、仕事、人間関係、散歩、運動など、普段の生活を楽しもうとすることで楽しみを見出し、増やしていく。

悟り?

 よくわからないけど、上記2点だけでも実践できたらとってもハッピーな生活だということはわかる。目指すべき地点が見えたような心地だ。俺の人生の悟りなのかもしれない。ありがたがって楽しもうとする。これができれば人生はより楽で幸せなものになるだろう。なぜこんな大切なことを置き去りにして過ごしてきたんだろう。いつからこういう発想が弱まっていったんだろう。欲にまみれ、柔軟性を失った思考で生きた時間は辛かった。今後はありがたがって楽しもうとして生きていく。

ありがたがる暮らし

 それはつまり「こんなありがたいことがあったよ」→「こんなのあったよ」ということになり、このブログのタイトルへと帰結するのである。素晴らしい。

今日はどんな幸せや楽しみを探そうかな、そんな心を毎日持ち続ける生き方をどこまで実践できるか、ここはそういうブログにしていこうと決意を新たにしました。

楽しみ探し生活

 食事や料理を楽しめるだけで毎日必ず楽しめることがある。それが習慣になって当たり前に感じだすといつのまにか退屈な毎日にすり替わっている。この現象は不幸を量産する。習慣、当たり前、退屈の連鎖を断ち切るのは生きることを楽しもうとする心がけ一つで足りるだろうか。とりあえず実践して経験を積む事にする。

今日はどんなことを楽しもうか

 天気が良い、気温もいい感じ。仕事もない。軽く散歩でもしようかな。その前に家で昼飯を食べよう。ブログもちょっとずつ書き足していこう。好きな音楽をかけよう。今日は何を着ようか。ひとつひとつの思考を噛みしめるように楽しめそうなポイントを探る。思考そのものが楽しみになれば究極の最終形態だろう。

散歩しながら思考を巡らせてみる

 目的は決まっていない。ただ何となく散歩に出かけてみる。気ままに思いついたまま動いてみる。何も成果がなくとも慌てない、ただ過ごす、そういうマインドを身につける。お腹もまだそんなに減っていないし、とりあえず散歩してくる。

散歩後

 最寄り駅まで歩いて、昼食にそばを食べた。電気屋のマッサージチェアで回復してコーヒー屋やらセレクトショップやら適当に散策してから帰ってきた。かなりハッピーだった。意識が楽と幸福に集中しているといつもよりハッピーだ。「ありがたがって楽しむ」というキーワードを頭の中で反芻した。

就寝前

 家で夕飯を美味しくいただき、散歩で疲れた体を風呂で癒す。しばらくダラダラしたのち、気持ちいい布団に飛び込んで気持ち良さを十分に堪能した。しかし、残念なことに寝付きが悪かったので一回起きてブログを書くことにした。書き終えてない記事が頭をチラついていたのも眠りを妨げていたからだ。

寝る前のブログ

 とはいえ、夜遅く一人でカタカタとキーボードを叩くのはやぶさかではない。夜の静寂を感じながら、自分なりに作った快適な環境で記事を書き進めるのは楽しい作業でもある。とりあえず気の済むまで書こうと決めて、今日一日を振り返りつつ文字を画面に打ち付ける。少しお腹が空いてきたが、夜食は胃もたれしたくないので食べない事にした。

楽しみの神髄

 楽しく生きる。その神髄とは何だろう。まだ初日だが、今日一日を思えば「心がけ」こそ楽しく生きる神髄なのではないかと思う。自分なりによく考えて導き出した心がけには魔力が宿っているのかもしれない。今後はこの仮説の検証に時間を費やすのが楽しそうだ。楽しもうとする気持ちを持って生きれれば、楽しい時間を感じて生きる事ができる。当たり前の事のようだが、それを頭の中の一番よく考えたり意識したりするエリアに置いて生きる事は当たり前の事ではない。人は生きていればいとも簡単に大切な事でも見失う事ができてしまう。これからも心がけを大切に過ごしてみるという楽しみをありがたがって続けられるように人生のテーマと向き合って生きていきたい。

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